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2009年02月05日

山本昌が26年目のシーズンに向けてブルペン入り

 2009年2月5日(木)の中日ドラゴンズニュースとして、沖縄キャンプ5日目は、2軍の読谷で調整を続ける山本昌投手が今キャンプ初のブルペン入りをして捕手を立たせたまま24球を投げ込みました。

 小池正晃外野手が初めて落合監督のノックを受けました。中田賢一投手がシート打撃に登板しその後はブルペンで102球を投げ込みました。吉見一起投手がシート打撃に登板しました。元中日監督の山内一弘氏が2月2日に肝不全のため死去していたことが分かりました。

 ※画像=なし

 ●元巨人の橋本清が打撃投手を務めた理由とは ⇒Ranking
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【中日ドラゴンズ関連速報記事】
26年目のシーズンへ順調=山本昌が初のブルペン入り−プロ野球・中日(時事通信)
 初夏を思わせる青空の下、気持ちよさそうにマウンドの感触を確かめた。中日の山本昌がキャンプ5日目で初のブルペン入り。「きょうは天気がいいので(ブルペンに)入った。これから大変だけど始まったという感じ」と汗をぬぐった。

 捕手を立たせたまま24球。ゆったりとしたフォームからミットをめがけ投げ込んだ。相手を務めたのは、今季から就任した中村武志捕手コーチ。かつての女房役は「さすがにフォームも球の軌道もぶれがない」と懐かしんだ。

 昨年は2日目にブルペンに入っており、今年はやや遅め。それでも調整は順調だ。通算200勝を達成して多忙なオフを過ごしたが、合間を見て体を動かしてきた。二軍でのスタートも例年通り。若手に交じって練習し、ノック役を買って出るなど表情は明るい。

 昨オフには、43歳で異例とも言える2年契約を結んだ。周囲の期待は十分に承知している。「不安なく来ている。どんどん投げ込んでいきたい」。26年目のシーズンへ視界は良好だ。

監督ノックに緊張 中日(共同通信)
 昨季途中に横浜から移籍した小池が、初めて落合監督のノックを受け「めちゃくちゃ緊張しました」。

 本職は外野手で「外野でレギュラーを取りたいが、ことしは勝負の年で可能性も広がる」と前向きに内野にも挑戦している。この日は和田とともに一塁で受けた後、三塁に回って森野とボールを追いかけた。

中日の中田がシート打撃登板=プロ野球(時事通信)
 中田がシート打撃に登板し、打者との感覚を確かめた。ほとんどが130キロ台後半と制球重視の投球で「この時期に(ボールが)いっていたらすごいこと」と調整途上であることを強調。登板後はすぐにブルペンに向かい、102球を投げた。

 昨年は7勝9敗と不本意な成績に終わり、今季は巻き返しを図る。川上に代わるエース候補として期待される右腕は「まだ先があるし、これから」と徐々にペースを上げていく。

【中日】吉見がオール直球18球勝負(日刊スポーツ)
 中日の吉見一起投手(24)は5日、北谷球場で今季初めて打者に投げた。ケース打撃に登板し、トニ・ブランコ内野手(28=ロッキーズ2A)中川裕貴内野手(23)にオール直球で計18球。「低めを意識したけどまだまだです。ただ、打者と対戦する感覚は忘れていなかった」と話した。

橋本氏が打撃投手に 中日(共同通信)
 巨人などでプレーした解説者の橋本清氏が、フリー打撃で投手役を務めた。

 落合監督やPL学園高で同期だった立浪に頼まれ、約1時間黙々と伸びのある球を投げ続け「疲れた。明日も投げてくれと言われ、体が持つか心配」と苦笑い。

山内一弘氏が死去 強打の「打撃の職人」(共同通信)
 プロ野球往年の強打の外野手で、中日とロッテで監督を務めた山内一弘氏が2日午後7時26分、肝不全のため、東京都内の病院で死去していたことが5日、分かった。76歳だった。愛知県出身。自宅は非公表。近親者で密葬を済ませた。

 愛知・起工高から社会人を経て、1952年に毎日(現ロッテ)に入団。54年から2年連続打点王を獲得するなど巧みなバットコントロールで「シュート打ちの名人」「打撃の職人」と呼ばれ「ミサイル打線」の中心打者として活躍した。

 60年には本塁打王、打点王の2冠に輝き、最高殊勲選手(現最優秀選手=MVP)にも選ばれた。64年には、ともにチームの中核だった小山正明氏との「世紀のトレード」で阪神に移籍し、70年に広島で現役を終えた。

 プロ19年間の通算成績は打率2割9分5厘、396本塁打、1286打点。首位打者1度、本塁打王2度、打点王4度の実績を残したほか、通算300本塁打を最初に達成。16度出場したオールスターでも大活躍して「オールスター男」と言われた。ベストナインにも10度選ばれた。

 指導者としても評価が高く、引退後は巨人、阪神の打撃コーチを務め、ロッテと中日で各3シーズンずつ指揮を執った。監督通算成績は336勝313敗。2002年に野球殿堂入りを果たした。

山内一弘氏死去=元ロッテ、中日監督(時事通信)
 プロ野球の毎日と大毎(現ロッテ)などで強打者として活躍し、ロッテと中日で監督を務めた山内一弘(やまうち・かずひろ)氏が2日夜、肝不全のため川崎市の自宅で死去した。76歳だった。

 愛知県出身。1952年に毎日に入団し、「ミサイル打線」と呼ばれた強力打線の中心として活躍。60年に本塁打王と打点王を獲得して優勝に貢献し、最優秀選手(MVP)に輝いた。64年に小山正明投手との大型トレードで阪神に移籍。68年には広島に移り、70年限りで引退した。現役通算成績は2271安打、396本塁打、1286打点、打率2割9分5厘。

 79年からロッテ、84年からは中日で監督を務めた。2002年に野球殿堂入りした。


 中日沖縄キャンプ5日目の様子は東海テレビの夕方のニュースで見た。沖縄は今日も晴れて最高気温が23℃まで上がり暑そうだった。野本圭が打撃練習で鋭い当たりを飛ばしていた。そして打撃ゲージの後ろでは立浪和義兼任コーチが野本に身振り手振りで打撃指導を行っていた。

 元ドラゴンズの監督がまた亡くなられた。山内監督と言えば、確か近藤貞雄監督の次に中日の監督に就任したと記憶している。そして一番よく覚えているのが打者出身の監督だったからなのか、その試合で先発の杉本正投手が完封ペースで投げていて8回にピンチになるとマウンドへ行き交代させて杉本が憮然とした表情でベンチに下がり、私もなんでこんな場面で代えるんだ?完封させてやれよと憤慨したことがありました。3シーズン中日の監督を務めて優勝することは出来ませんでしたが、山内打法を打者に伝授して中日打線の打力を向上させました。

 これで私がドラファンになってからその当時に監督を務められていた方で亡くなられたのは近藤貞雄氏に次いで二人目となり何か淋しさを感じます。慎んで山内一弘氏のご冥福をお祈りいたします。


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この記事へのコメント
こんばんゎ。
野本ゎ昨日ゎバント、今日ゎ打撃と順調ですね。
ただ、インサイドの課題と言ぅのがどんな感じなのか気になるところ?

しかし一番の思ぃ出がまた微妙な…w
まぁそーゆー場面の方が覚ぇてるのゎ分かりますww
Posted by Dra at 2009年02月05日 21:47
>Draちゃん
こんばんは
キャンプで初めて野本の打撃を見ましたが、ミートが上手そうでパンチ力もありそうでした。
その課題とやらを克服して1年目からレギュラーで活躍して欲しいと思います。

山内監督の思い出はそれ以外には、1985年の開幕戦のスタメンにロッテから移籍してきたばかりの剣持節雄という外野手をいきなり起用したこともよく覚えています。
しかしその剣持は、まったく打てず数試合で2軍に行きその年限りで引退してしまいました。
ロッテつながりで起用したのかもしれませんが、なんでそんな選手を開幕スタメンで使うんだって当時疑問に思ってました。
山内監督はやっぱりあまり良い記憶がないなぁ(笑)
Posted by 奥ヒダツヨシ at 2009年02月05日 22:06
こんばんわ〜。
昨年は天候不良が多くて練習不足じゃない?って心配したけど
今年は天気良すぎて飛ばしすぎになるんじゃないかと心配だ〜ぁ(^^;)

山内監督は亡くなられたんですね
アノ頃は私のドラ人生の暗黒期です・・・
思い出すと・・・↓↓↓(涙)

ご冥福お祈りします。
Posted by xyz at 2009年02月05日 22:36
>xyzさん
こんばんは
昨年は雨に祟られて練習不足で大丈夫なのか心配しましたが、今年は晴れなのでしっかり練習が出来て良いですが、選手は休みが少ないので大変ですね(^^;

山内監督の時は確かに中日は低迷してましたね。
1984年2位
1985年5位
1986年5位、山内監督がシーズン途中で休養となり高木守道ヘッドコーチが監督を代行しました。
そして翌年の1987年から星野仙一が監督に就任しました。
Posted by 奥ヒダツヨシ at 2009年02月05日 23:18
こんばんは。
監督にも歴史があるんですね。私は山内監督は正直記憶にないです。すみません^^。ドラは87年から恐ろしい時代に入ったわけですね?!それにしてもここ数年は本当に黄金期ですよね。有難い話。それだけの逸材も同時期に揃ったことに勝因ありですね。勿論監督始め全ての力が結集されないと無理かと思いますが^^。
Posted by you at 2009年02月06日 01:02
>youさん
山内監督はたぶん30代以上じゃないと知らないでしょうね。
落合監督になってからは昨年は3位でしたが常に優勝争いをしているので過去にないくらいの好成績が続いていると思います。
監督だけでなく力のある選手が揃っていることもあるでしょうね。
Posted by 奥ヒダツヨシ at 2009年02月06日 09:23
突然の訃報に驚きました。

自分もあまり覚えてませんが、かなりの教え魔だったというのは当時よく聞きました。とにかく自分の打撃理論を選手に対して教えるのが大好きだったみたいですね。

あと印象にあるのが、昭和61年に宇野選手をショートからサード?へのコンバートを試みたのですが、それが原因でその年、宇野選手が大スランプに陥ったという話です。

当時中日が弱体化したのは、山内監督というよりは例によってフロントだったのではという印象はあります。田尾放出事件なんかは、毎年年棒交渉で手を焼いていたから起こったものですし。

2年連続Bクラスの要因は、谷沢・大島等主力の衰えもありましたが、主力田尾の放出により打線が弱くなったからというのが大きかったと個人的には思ってます。
Posted by 完治 at 2009年02月06日 13:22
>完治さん
うーやんが大スランプで打てなくなったことってありましたね。
田尾が西武への電撃トレードはショックでした。
この時期に低迷したのは選手の入れ替えの時期とも重なったんでしょう。
次の星野監督が2年目に優勝出来たのは山内監督が指導した打者が育ったこともあると思います。
Posted by 奥ヒダツヨシ at 2009年02月06日 19:17
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